わたくし鈴木健二は、今年いっぱいを持って、レベル3ジャッジとしての活動を終え、今後ジャッジについては大幅にその活動を縮小することを、ここにご報告させていただきます。

 理由を申し述べる前に、少し昔話をさせてください。

 私は大学生の頃にサークルの部室でマジックと出会い、すぐにその魅力にとりつかれて気づけば新宿のイエサブハイパーアリーナに週5で通う日々を過ごすまでになりました。当時はちょうどアイスエイジ・フォールンエンパイア・ホームランド・アライアンスくらいの時代でしょうか。当然ですが最初はプレイヤーとしてマジックにのめり込みました。その当時に知り合った人たちとはまだ友人であったりします。

 さてそのうち、イベントを運営する側の人とも知り合うにつれ、イベント運営の方にも興味を持つようになってきました。私は元からそういった「仕切る」ことが好きであり、また一方でゲームの才能はそこまで高くはないので、思えば自然な流れだったのかも知れません。当時ホビージャパンの大橋さんや鈴置さん、そして一戸さんなどのお力をいただき、初めてジャッジという世界に足を踏み入れました。(97年のGP東京だったかな?もう昔すぎて正確なところは覚えていません。)

 当時からお世話になったジャッジの方はもちろん数え切れないほどいるのですが、前述のホビージャパンの方々はもちろん、その他にも、菅谷さん(アジアマスターの菅谷さんではなく、昔日本のジャッジの中で最も高いレベルで活動していた方)、また若月さんや国光さんなどには大変お世話になりました。

 私は次第にプレイヤーとしてよりもジャッジの方にのめり込んでいったのですが、しかし当時の私はまだジャッジレベルを上げる事についてはあまり興味がありませんでした。グランプリなどでは「老人レベル1」などと自分を称して冗談を言っていた時期が長かったと思います。国内でジャッジをしているだけで楽しかった。でももちろんさすがに周りがそれを許してくれない時期もやってきます。その後レベル2を取得し、ますますジャッジ活動を活発化させていきました。

 しかし一時期、私はジャッジ活動を離れる事になります。それは仕事の関係でカナダに2年間行っていた時代で、カナダでジャッジをする自信が無かった私は、その間全くジャッジの活動をしませんでした。ジャッジの資格は半年間全くジャッジをしないと消えてしまうので、これで私のジャッジ資格は一度無くなっています。

 もちろんそれで私の情熱が失われることはありませんでした。帰国後、レベル1、レベル2を取得し、以前にも増してジャッジ活動にのめり込む事になったのです。この過程では宮坂さんに大変お世話になりました。当時レベル3の宮坂さんに試験官になっていただいたことはもとより、LMCというトーナメントを運営し、ジャッジの機会をたくさん与えていただいたことは、何にも代えがたい経験の元となりました。

 そして、いよいよ日本のジャッジとして上を目指す。そういった意識が本格的に芽生えてきたのは、おそらく地域コーディネーターを進藤さんから引き継いだ頃だと思います。この頃から積極的に海外にも行くようになりました。思えばマジックをやっていなければ、こんなに海外に行く事もなければ、こんなに海外の友人ができる事も無かったと思います。レベル3への道はもちろんやさしいものではありませんでしたが、それでもそれを乗り越えてレベル3になれたのは、国内外含め、様々なジャッジの方の協力あっての事だと思います。本当に自分はみんなに支えられてきたのだなと思います。特に感謝をしたいのは、David VoginやRiki Hayashi、またJames Mackeyです。彼らは日本のイベントが国際化するよりも前から、日本のジャッジコミュニティを見てくれていました。彼らの尽力が無ければ、今の日本ジャッジ界は違った物になってしまっていたでしょう。

 レベル3になってからは、レベル3としていかに日本のジャッジコミュニティを、そして日本のイベントをよくするかというトライの連続でした。僕の唯一のグランプリヘッドジャッジはGP広島です。今思えば大変稚拙なヘッドジャッジだったと思います。いろんな方に迷惑をかけた事については大変申し訳ないことではありますが、それでも様々な事にチャレンジをし、何とかよくしていきたいという心の表れであったのだとご理解いただければと思います。

 思えばレベル3になってから5年、日本のグランプリは2000人をゆうに超えるに至り、参加ジャッジの国際化も大幅に進み、日本ジャッジと海外ジャッジとの交流は以前とは見違えるようです。5年前にはとてもとても想像できなかった世界がここにはあります。私のおかげ、というつもりは毛頭ありません。私がいなくても誰かがやっていた事でしょう。結局は昔、そして今がんばって活動しているジャッジの皆さんのおかげです。もちろんその中では昔から日本を引っ張ってきている牧野さん、梅咲さんの貢献を忘れるわけにはいきません。

 そして新たなレベル3も増えつつあります。中村さん、坂井さんとすばらしいレベル3が生まれています。そして今後も日本のレベル3は増えていくでしょう。新たな世代は間違いなく育ってきています。

 その中で、自分の持つ役割を、今一度思い直し、今回の決断に至りました。

 大きな理由の一つは、もちろん家族です。私には妻、そして3歳の娘と0歳の息子がいます。レベル3として「まっとうに」活動するためには、やはり国の主要なトーナメントでヘッドジャッジを務められなければなりません。しかしその場合どうしても朝早くから深夜までの活動となり、その間他の家族を家に置いて、というのはどうしても自分の中で許せなくなってきました。
 最初は、例えばスイスラウンドだけ参加して、という形で「レベル3を維持する方法」を模索していた時期もあったのですが、維持するのに四苦八苦するようではレベル3を持っている資格があるのか、周りの人たちが協力しているこの状況に甘えているのではないかという考えが大きくなってきました。ジャッジも中途半端、家庭も中途半端では両方に迷惑がかかる。こんな状況を続けてはいけないのではないか。しばらく悩んでいた時期がありました。しかし今回、やはり男としてはそれぞれに責任を持つべき、との決断に至ったのです。

 もう一つの理由は、仕事です。ご存じの通り、私は公務員をしています。そして現在41歳という年齢ですから、それなりの地位を持った形で仕事をしています。もちろん責任は重く、また公務員は副業について大変厳しい制限がかかっていることはご存じの方もいるかと思います。その中で、やはりできるだけジャッジに関わる方法はどのような方法があるか、というのを近年模索してきました。
 一方で、例えば日曜日に終日ジャッジをすると、そのダメージが月曜日になかなか取れていないという根本的な問題も出てきました(歳というのは怖いものですね)。やはり家庭の問題と同じく、どちらでも責任を持った仕事をする必要がある。中途半端ではいけない。こういう言い方は申し訳ないかも知れませんが、1人しかいない私の全力を注ぐならもちろんそれはジャッジのためではなく仕事のために全力を注ぐべきで、日本という国をよくするために全力を注ぐべきなのです。

 今回こういった決断をするにあたっては、何か特定のきっかけがあるわけではありません。何かのイベントで何かがあったとか、誰かに何かを言われたとか、そういったものではなく、過去からの積み重ね、ここ1年以上色々と考えてきた事、そしてこれからのマジックにおけるスケジュールなどを勘案した上で、この時期での決断、そして発表とさせていただいた次第です。

 私のジャッジとしてのビッグイベントはグランプリ千葉が最後になるかと思います。それ以降は、当面レベル2ジャッジとならせていただき、その資格は維持しつつ、RPTQ、WMCQ、GPなどの大規模競技レベルのジャッジからは基本的に引退します。ただしもちろん、趣味としてのマジックは継続します。来年の国内グランプリはプレイヤーとして現れるかも。レベル2を維持するためには1年で競技レベルを2回ジャッジする必要があるので、それを維持できる程度の活動ができるかどうかは今後考えます。それも難しい場合にはレベル1になる予定です。

 最後に、今まで私を支えてくれた皆さんに改めて感謝を申し上げたいと共に、今後のますますの発展を祈念しつつ、もちろんまだそれでも私に何かできる事があれば、今までと違った形で、皆さんと関わらせていただければと思います。

 長文読んでいただきありがとうございました。

 鈴木健二

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