カナダは移民の国だから(そもそも国の歴史がとても浅いので、「古典的ないわゆるカナダ人」という概念はあまり存在しない)、カナダ人といってもいろんな人が居る。

Spadina通りに行けば中国人がいっぱいいるし、リトルイタリーに行けばもちろんイタリア人がいっぱいいる。私の通っているYork大学の学生だってヨーロッパ系アフリカ系中東系アジア系とごったまぜだ。どの人種が多いというのはほとんど無く、カナダという場所は(少なくともトロントで言えば)かなりまんべんなくいろんな人種の人々がいる場所である。

だからといって、カナダの人が「カナダ人」というアイデンティティを持っていないかというと、全然そうではない。あくまで彼らは中国系カナダ人であり、イタリア系カナダ人であり、アフリカ系カナダ人なのである。

でも、そのくくりは緩い。その点はカナダがアメリカとはちょっと違うところである。アメリカの「アメリカ人」としてのくくりは非常に固い。ある意味、アメリカ人はその人がどこから来た人であれ(アメリカも移民の国である)、アメリカ色に染められてしまうのだ。「人種のるつぼ(melting pod)」と呼ばれるアメリカだが、カナダ人に言わせればこの言葉は「混ざり合った結果個々の価値観などが失われてアメリカ人という一つの物になってしまった状態」という意味もあるんだそうだ。だからカナダ人はカナダのことを「人種のるつぼ」とは言わない。変わりに「tossed salad(野菜サラダ)」という。つまり全体としてみればカナダという国を構成している人々であり、その意味ではみんなカナダ人なのだけれども、それでいて一つ一つの個人が持つ価値観は失われていない(つまりサラダにあるレタスやトマトやキュウリなどがその価値を失うことなく、全体としてはサラダという料理を構成している)のである。これは確かに納得できるたとえだ。

で、人々がそういう緩い連帯、みんなの価値観を尊重しつつカナダという国を作っているという意識を持っているからこそ、例えば私のような日本人が突然トロントにやってきても、全然strangerという感じでもなく、すんなりと溶け込んでいける。

みんな歓迎、カナダ良い国一度はおいで。

そしてみんなでTim Hortonのコーヒーを飲んだり、ホッケーを見たりするのである。(カナダ人は総じてコーヒーとホッケーが好きだ)

コメント

アス
アス
2007年7月5日23:00

エドワード・W・サイードを思い出しました・・・。